人生初のフェス Summerfest’98

こんばんわ。この時期、花粉で朝、目が開かないヒデです。

今日は少し昔の話をします。社会人になって2年目の1998年に3週間ほどアメリカのシカゴに出張に行ったことがあります。当時の僕にとって海外に3週間も出張するのは不安以外の何物でもなかったんですよね。それに海外に飛ばされるんじゃないかという不安。大卒で入社して配属されたのはその年新設された部署で国内の仕事もまともにまわっていない状況でまだまだこれからという状況。その中で海外に行かされるのは左遷されるような感覚だったんですよね。そんなこともあって、イヤイヤ行ったわけです。

人生初のフェス

現地で面倒を見てくれた日本人の上司はアクティブで音楽も好きでいろんなとこに連れて行ってくれました。アイアン・メイデンのライブやお酒飲みながらブルースを聴けるお店、そしてSummerfestというフェス。今ではフジロックやいろんなフェスに行ってますが、これが人生初のフェスでした。

Summerfestはミルウォーキーで6月末から7月初旬にかけて11日間かけて行われるフェスです。僕たちはもちろん休日の1日だけの参加でしたが。ステージが音楽のジャンルごとにいくつかあるんですが、たしかメインの大きいステージだけ別にチケットが必要だったような。その日の大きいステージのヘッドライナーはカントリーシンガーのシャナイア・トゥエインでした。日本じゃ、シャナイア・トゥエインがヘッドライナーってあんまり想像つかないですよね。当時、アメリカでは「You’re Still The One」って曲がヘビーローテーションされてました。

僕達はもちろん終日ロックステージにいました(笑)

覚えてる限りではその日出演してたのはEVE6、Love Nuts、Creed、ロックステージのヘッドライナーがThird Eye Blindでした。

EVE6

3人組ロックバンドでベーシストが歌うスタイルでなかなかカッコよかったです。当時デビューしたばかりで「Inside Out」って曲が、これまたTVやラジオでヘヴィロテされてました。のちに2000年にフジロックに出演のはずが飛行機が飛ばずにドタキャンってのがありましたね(笑)

Love Nuts

日本では全く無名ではないでしょうかねー。タワレコなんかには一応輸入盤のCD置いてありました。パンキッシュでポップなロックバンドで、このフェスで観たライブではすごく印象に残ってます。

Creed

アルバム数千枚売り上げるモンスターバンドですが、海外の人気に比べ、日本ではイマイチでしたね。という自分もあんまりライブの印象が残ってないんですよねー(笑)

Third Eye Blind

サード・アイ・ブラインドは97年にデビューして、その年のあの第1回のフジロックにも出てますね。日本でもそこそこ人気がありましたが、アメリカでの人気はすごかった。サード・アイ・ブラインドが出て来た瞬間にドッと盛り上がりました。全編、大合唱です。僕たちの前の席に老夫婦が孫と一緒に来てたんですが、てっきり孫にお願いされてついて来てたのかと思ったら、始まるや否や、孫そっちのけでシートの上に乗って飛び跳ねまくりのはしゃぎまくりで、超ビビりました(笑)

700万枚を売上げた彼らのデビューアルバム「Third Eye Blind」は僕も大好きでよく聴いていましたが、アメリカでは老若男女問わず国民的な人気なんだというのを実感しました。日本とは熱が全然違いましたね。

97年の1stアルバム「Third Eye Blind」

Semi-Charmed Life

デビューシングルのこの曲で一気に火が大ブレイクしました。キャッチーで一度聴いたら忘れられなくなってしまいます。

Jumper

その清涼感にある曲調とは裏腹に飛び降り自殺する崖っぷちの心境を歌われた曲。ボーカルのステファン・ジェンキンスが過去に絶望の淵から立ち上がったことを題材にした歌だそうです。

実は当時、気になる女の子がおりまして、彼女がサード・アイ・ブラインドが大好きだったんですよ。もう帰国してこの話を自慢したくてたまらなくって、いろいろ想像しまくってたんですが、帰ったら彼女に彼氏が出来ていたという切ない結末でした(笑)

ここからが始まり

出張の間、仕事した記憶はあまりなく、イヤイヤ行った割にはいろいろ楽しんだなと。今思うのはあの時もっとポジティブに考えて行っていたら、英語ももっと勉強していろんな人と話していただろうし、いろんな物を吸収できただろうと思う。人生も変わっていたかもしれない。でもすべての出来事をポシジティブに捉えるのは難しいと思います。あんまり後悔しても仕方ないし、あの気持ちで行ったから楽しいことがより楽しく感じられたのかもしれない。と、今になってはポジティブに考えられます。その時、ネガティブに感じても何にでも何かの意味があるというのが、いずれ分かるのかなあと。

多分、あのころ死んだような目をしてたと思う。アメリカから帰ってきたときは少しは目に輝きを取り戻してたかもしれない。それまではライブとか全然行ってなかったけど、帰国してから狂ったようにライブに行くようになって、次の年の1999年に初めてフジロック行き、そこからフジロックは自分にとってとても大切なライフワークとなっていくのでした。そのあたりはまた追々。

ではまた!